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海印寺(かいいんじ、ヘインサ)は、慶尚南道陜川郡にある寺院。韓国仏教界の最大勢力である曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の三宝寺院、五大叢林(海印叢林)に数えられている。また曹渓宗の第12教区本寺。 高麗八萬大蔵経の版木が保管されている大蔵経板殿は世界遺産に登録されている。 == 歴史 == 新羅王第40代哀荘王の時代の802年(哀荘王3年)に海東華厳宗の開祖義湘の法孫順応と彼の弟子理貞が新羅王室の寄進を受けて創建した。 918年に高麗が建国された際、当時海印寺の住職だった稀朗の建国時の功績が認められ、海印寺は高麗の国刹になった。930年には太祖の支援で重建が行われた。その後幾度かの重建が行われたようであるが、詳細はわからない。 李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に海印寺の名前はなく、廃寺になったようである。しかし世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36寺院の中に海印寺の名前はあり、寺は復活した(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。 1488年(成宗19年)に王室の寄進を受け、1490年(成宗21年)に燈谷學祖和尚が重修した。世界遺産に登録された大蔵経板殿は現在海印寺最古の建造物だが、この時重建されたものである。 1695年(粛宗21年)に火災にあうが、雷音敬演和尚が翌年に重建した。1743年(英祖19年)に凌雲一宗大師が重建。1763年(英祖39年)に火災にあうが、3年かけて雪坡常彥大師が再建。1780年(正祖4年)に火災にあうが、星坡念初大師が5年かけて再建。1817年(純祖17年)に火災にあうが、影月慧堅大師と晦隱昇惠大師が3年かけて重建を行った。海印寺は繰り返し火災に見舞われており、本堂の大寂光殿をはじめ現存の建築はこのとき重建されたものがほとんどである。 日本統治時代の1911年、寺刹令施行規則(7月8日付)によって、朝鮮三十本山に指定された(1924年以降は朝鮮三十一本山)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「海印寺 (陜川郡)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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